平和(自摸八計算のおこり) | ||||||||||||||||
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平和!このお話を、楽しみにしていましたの。 | |||||||||||||||
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またひとつ、大きな謎が解けそうな予感がします。 | |||||||||||||||
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謎?謎って何? | |||||||||||||||
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人間の皆様は、このような手を、30符として計算なさいますの。 | |||||||||||||||
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おかしいですよね?どこにも符はつかないはずなのですが。 | |||||||||||||||
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どれどれ。役は、断幺九。アガれるね。 で、符は・・・メンツ符0、アタマ符、待ち符、アガリ符・・・ 本当だ、これ、副底の20符しかない。 どうして30符になっちゃうのかな? |
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鳴いた平和形は、30符…。どうやら、人間の皆様におかれましては、 鳴いた平和に、「平和加符」という、10符をつける慣習があるようですの。 私共の世界には存在しない、この符の謎が、今こそ解ける気がしますのよ。 |
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さあ、早速、先生をお呼びしましょう。 | |||||||||||||||
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こんにちは、みなさん。 平和の歴史・・・というより、「平和加符」の話ですね。 了解しました。 それではまず、「摸高栄低」の原則から確認しましょう。 皆さん、「摸高栄低」の大原則は、ご存知ですね? |
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勿論、知っています。 | |||||||||||||||
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存じておりますわ。常識でしてよ。 | |||||||||||||||
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「摸高栄低」?なにそれ、私知らないよ。習ったっけ? | |||||||||||||||
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あら、お教えしていませんでしたかしら? 『同じ手役であれば、ロンよりツモの時の方が点数が高くなる』という原則のことですわ。 |
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ああ、なるほど。そういう意味ね。 ツモった場合、門前なら「メンゼンツモ」がつくし、鳴いていても「アガリ符2符」がもらえるから、 ツモった方が高くなるよ。あるいはロンの点数と引き分け。 |
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うんうん。そうだよね。 だけど、この「平和」、麻雀の発展する歴史の中で、この原則を破っちゃった時代があったんだ。 それで、人間達は、どうやってそれを修正したらいいか、いろいろ考えたんだよ。 |
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それ!それですわ! その歴史を、何卒教えて下さいまし! 摸高栄低の原則が狂ってしまった時代は、いつだったんですの? |
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かしこまりました。 では、それぞれの時代の「平和」を、見て参りましょう。 まずは、19世紀中盤にタイムスリップです。 ■19世紀中盤のルール 当時「点数計算は精算法(端数の切り上げは無し)」 そして「符底は10符」でした。 この時代、平和は一翻役ではなく、符底のみの和了、の扱いです。 精算法ということは取得した小符は和がり点に直結します。 従って2符といえども簡単には取得することは出来ませんでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 当時、この牌姿の ![]() ![]() ![]() また、当時は「門前清」「自摸和」は役として存在していなかったため、 門前の和了も副露の和了も得点は同じでした。 ちなみに、この時代、まだ「1飜縛り」はありません。 |
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あの、ラルフさん。いくつか誤字があるようなのですが…。 「符底」は「副底」、「両門」は「両面」の間違いでは? |
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あら。アクアはご存じなくて? この時代は、この字が使われていたのですわ。 |
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いやいや、そんな字のことより・・・この形が「両面待ち」?変なのー。 | |||||||||||||||
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この頃は、嵌張・辺張・単騎として2符が与えられたのは、 「純粋にその待ちしかない」という聴牌にのみ許されていたんだ。 今とは、「待ち符」の考え方が違ったんだね。 |
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なるほどねー。 あの、「清算法」っていう計算、どんな風にやるの? 具体的にやって見せて欲しいな。 |
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では、私がご覧に入れますわ。 子が、平和をアガった際の点数は、このようになりますの。 言葉は、現代の言葉で統一しますわね。
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ツモ2符があるので、ツモあがりの方が、高得点ですね。 この時代のルールでは、「摸高栄低」の大原則は、守られています。 |
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そうですね。この時代は大丈夫です。 次の時代に参ります。 ■19世紀終盤のルール この時代、平和がはじめて1飜役に昇格しました。 また、メンゼンツモも、門前・副露に関係なく、1飜となりました。 前の時代で両門と考えられていた ![]() ![]() ![]() ![]() 現代と同じく、嵌張待ちと単騎待ちの複合形と考えられるようになりました。 従って、いずれでアガっても2符がつくため、このような待ちでは、 平和の条件を満たさなくなりました。 また、ツモあがりも、ツモ2符がつくので、平和になりません。 |
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なるほど。 すると、この時代では、このような計算になりますわね。
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ツモなら『ツモあがり1飜』、ロンなら平和。 ツモの場合もロンの場合も飜数は同じです。 ここでも、ツモ2符の影響で、ツモあがりの方が、高得点となりました。 この時代のルールでも、「摸高栄低」の大原則は、守られています。 |
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この時代も大丈夫でした。 次の時代に参ります。 ■20世紀初頭のルール 20世紀初頭には、符底は20符で行われる事が多くなってきます。 この時期、華北(北京地方)の特殊加符役(自摸和・加100符、栄和・加50符) であった門前清が、中支方面(上海地方)まで普及してきます。 門前でツモると、100符。 門前でロンすると、50符のおまけがつく時代となったのです。 |
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このお話は、ラルフ研究室の「メンゼンツモ」の時にも聞いたよね! | |||||||||||||||
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ははあ、そうしますと… この時代からは、「門前」「副露」で点数が違うんですのね。 計算すると、こうですわ。
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前の時代に比べると、門前の方が、はるかに高得点ですね。 門前加符…現在では考えられないような点数計算方法です。 しかしながら、いずれにしても、「摸高栄低」の大原則は、守られています。 |
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20世紀初頭までは、ずっと大丈夫でしたね。 次の時代に参ります。 ■1920年頃のルール 主に航路を通じて西洋にも麻雀が普及し始め、 アメリカで大ブームを引き起こした、1920年頃になりますと、門前清は 「自摸和・栄和に関係なく一翻(門前加符は消滅)」という形となります。 これに伴い、『ツモあがり1飜』は、なくなりました。 |
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門前加符の代わりに、1飜を与えましたのね。 そして、ツモあがり1飜がなくなって、と。 計算しますと、あら・・・?
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この時代で、摸高栄低の大原則が破られました。 数式を見ますと、なるほど…『門前1飜』の発生と、『ツモあがり1飜』の消滅が、 この逆転現象を引き起こしたようですが…。 |
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原則が破られてしまったのは、1920年代なのですね。 しかし、いつの時代も、語り継がれた様式美を守ろうとする人はいるものでして。 この時代の有識者の皆さんは、この逆転現象に、一様に異を唱えました。 ■有識者が唱えた新ルール こうした方々が唱えた新ルールは、 「門前自摸和二翻、門前栄和一翻」というものでした。 このルールで、「摸高栄低」の大原則を守ろうとしたのです。 このルールは、およそ、1950年代まで根強く支持されました。 |
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人間の皆さんの中にも、有識者はいらっしゃるんですのね。 それならば、原則は守られますわ。
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うーん…私はこの方式に反対です。 ツモの時に1飜余計に加算するくらいならば、門前ロンの方を削るべきだと思うのですが。 |
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確かに、アクアさんのように、有識者の中にも、異論を唱える者もあったのです。 団体の乱立→離合集散というこの時期、 当然ながら、ルールについても多くの混乱がありました。 上の点数計算の変遷を見ると 「平和が一翻役へと昇格」 「〜普通の嵌張や単騎と同様、加2符となります。」と、あたかも 「整然と修正・改定が行われていた」かのように書いていますが 実際にはさまざまな試行錯誤があり、この通りの推移ではなく、 違う計算方式を採用していた地域や団体がいくつもあったのです。 最後に挙げた「門前自摸和二翻、門前栄和一翻」などもそう、 「合理的な修正」「いや、釣り合いが取れていない」 というように意見が別れ、ルールを巡る混乱は続きます。 そういった事態を収拾するために、昭和4年4月11日、丸の内の大阪ピル内の グリル「レインボウ」で、各団体の代表が集結しルール統一会議が開かれ、 数日間にわたっての白熱した議論がなされます。 ■レインボウ会議で決定したルール 「門前自摸和二翻、門前栄和一翻」であった門前清が 「門前自摸和一翻、門前栄和・加10符」と決定されます。 現在の点数計算と同じになりました。 他の役とのバランスを考えますと 門前自摸和一翻はまあ、妥当なところでしょう。 しかし、門前栄和は「一翻→無翻+加10符」としたために、 また、おかしなことになりました。 |
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レインボウ会議は、ラルフ研究室の「日本での麻雀の歴史(黎明期)」でも 触れられてるよ。おじさんたちが、ごちそうを食べながら、麻雀のルールを統一したんだよね! |
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レインボウ会議で、ようやく現代と同じ 点数計算になったんですのね。 原則を守る為の是正を・・・って、あら?
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ごちそうと一緒に、お酒も召し上がったのでしょう。 「摸高栄低」の大原則が、是正されておりません。 本当に白熱したのでしょうか?もっと真面目にやって頂きたいです。 |
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人間代表として、お詫びいたします。 レインボウ会議では、こう決めたのですが、 この逆転現象に不満を持った鎌倉在住の文士を中心としたグループがありました。 「門前自摸和一翻、門前栄和・加10符」 を前提とした上で「摸高栄低」となる方法を模索した結果誕生したのが、 俗に言う「自摸八計算」です。 |
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自摸八計算?なあにそれ。 | |||||||||||||||
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自摸八計算というのは、 「平和を自摸和した時に限り、自摸の2符を計算しない」というものだよ。 現代の麻雀でも、こうするよね。 ツモ2符を無視するから、0飜の手をツモあがりした場合、本当は、 (20+2)×4=88点、となるところ、 (20+0)×4=80点、と計算することになるでしょう? 「ツモっても80点になる計算」、略して「ツモ8計算」ってことなんだ。 |
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なるほどね。それで自摸八計算。 この計算方法を導入すると、どうなるのかな? |
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この計算方法を導入すると、平和のツモ2符がなくなるので、 平和とメンゼンツモが両立するよね。 あ、この当時、鳴いている手では、自摸八計算は、適用しないよ。 |
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そうしますと、るなちゃん。これ、 現在の点数計算と、ほぼ同じでしてよ。
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副露の際は、相変わらずですが… ひとまず、門前状態での、摸高栄低の大原則は、復活できましたね。 |
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しかしながら、この自摸八計算、 「『自摸和しても2符がつかない』『平和と自摸和が両立する』といったものは変則的」 という異論が強く、日本麻雀連盟では採用されませんでした。 そしてこのあとも、 連盟内ではさまざまな形でこの問題への解決策が提示されるのですが、 いずれも決定的なものではなく、現在でも主に関東以北では 上記「自摸八計算」を適用、という形が習慣化したのです。 その後、現在の立直麻雀は昭和4年当時とは得点体系が大幅に変化し、さらに 「喰い平和は一翻役として認めない」とこれもまた変化していきます。 現在の得点体系で「自摸八計算」を適用し、喰い平和を無翻とした場合、 喰い断幺九の平和形の和了は自摸和・栄和ともに700点(子の場合)となります。 本来これでかまわないはずなのですが、 ここで現在の日本の麻雀にある、もうひとつの慣習的認識 「和了の最低得点は1000点」が立ちはだかります。 そこで現在ではこの慣習的認識に従って、喰い断幺九の平和形の和了の際は 自摸和の際は「自摸八計算」を適用せずに自摸の2符を加算し、 「300点500点(子の場合)」。 また栄和の際にもやはり慣習的認識に従って「平和加符10符」を加算し、 「1000点(子の場合)」と計算するようになり、 現在もこれが踏襲されているのです。 また関西系のルールでは、喰い平和については 栄和した場合に限り「平和加符10符」の代わりに喰い平和の一翻を加算する とするルールもあります。 この計算方法ですと喰い断幺九の平和形の栄和は 1300点(子の場合)となります。 ■ おわり ■ |
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・・・なんだか、最後にようやく出てきましたわね。 人間の皆さんが、鳴いた平和形を30符にする理由が…。 しかも、これまでの話と、何の脈絡もなく…。 今までのお話は一体…。 |
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和了の最低点数は1000点? いつから、そんな慣習的認識があるのでしょう? 少なくとも、私共の世界にはありません。 最低点数は、20符1飜、700点のはずなのですが…。 |
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私、「自摸八計算」のところが面白かったよ。 自摸平和って20符だけど、こういう理由があったからなんだね。 すごーく納得した。先生、ありがとう! |
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あの・・・シャインさんとアクアさん、へたり込んじゃったんだけど… このまま終わっていいのかな。 |
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大丈夫なんじゃない? 私がまとめるね。 ・ いろんな時代で、平和の点数計算上の扱いが変化した。 ・ 昭和4年4月11日に行われた「レインボウ会議」の後、「自摸八計算」が生まれた。 ・ 「自摸八計算」とは、平和をツモあがった際に、ツモ2符を加算しないことを言う。 ・ 「自摸八計算」の生まれた理由は、「摸高栄低」の大原則を是正するため。 こんなとこかな。 |
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