立直 | |
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立直は私の担当よね。楽しみだわ。 |
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妖精さん達に、順々に麻雀を教えてもらうと、 一番最後に教えてもらう役が、この立直だよね。 立直なんて、基本4役と同じくらい出てくると思うんだけど、 なんで、役を司るはずのフレムさんが、この役を教えてくれないの? |
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ん?このツンデレ紫が、どうしてもって言うからさ。 |
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なっ…誰がツンデレ紫ですってぇぇえええ!? るなちゃんに誤解を与えるようなこと、言うんじゃないわよ!この、おてんば赤! 人間の欲望から生まれた立直を正しく管理するのが、私の役目でしょう! |
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わはははは。怒るな怒るな。 立直を最初に教えてしまうと、立直に頼りすぎて、 「役作り」を疎かにしちゃうんだよな。人間って。 だから、このツンデレ紫が、最後の最後で教えるのが丁度いい、ってのも理由なんだわ。 |
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一度ならず、二度までも…もう許さない。 |
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シャドーネさん、人間の世界では、「ツンデレ」は立派なモテ基準です。 かわいいと思いますよ。ツンデレ。 |
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えっ…そ、そうかしら? …ふん、人間風情に褒められたって、嬉しくなんてないわよ。 だけど、まあ…そういうことなら、許してやらなくもないわ。命拾いしたわね、フレム。 |
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(相変わらず素直じゃねーな。そういうのをツンデレってんだ。) |
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さて、立直のおこりですが。 中国の北方麻雀には「第1打牌による聴牌宣言」 (現在日本でいう「ダブル立直」) が、ローカルルールとして存在していました。 これが日本に入ってきた際、 「第一打牌だけでなく、局の最中で立直を宣言するのも面白そうだ」 と考えられ、普及していったのが、現在の立直です。 ですから、厳密に言えば、現在の立直は「途中立直」なのですね。 ダブル立直の「ダブル」は、元々の意味の立直と、途中立直… 両方の意味があるから「ダブル」なのです。 |
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なるほどー。何がダブルなのかと思ってたよ。 |
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日本に入ってきた際・・・と言ったわね。もう少し厳密に知りたいわ。 途中立直は、どのタイミングで現れたのかしら? よその国で発明して、それから持ち込んだの? それとも、日本に到着してから発明されたの? |
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「ゲーム途中の聴牌宣言」は、日本国外では存在していなかったようです。 ですので、日本オリジナルと考えて差し支えないのではないでしょうか。 しかし、どのタイミングで考案されたかは、諸説あるようです。 「昭和の初期、 中国東北地方(いわゆる満州)にいた日本人(おそらく関東軍の軍人)が、 上記『第1打牌での聴牌宣言』からの連想で考案した」 という説と、 「それとは無関係に日本国内で考案されたもの」 という説とのふたつが主に支持されております。 現在でもどちらが正しいのかはっきりとはしておりませんが、 満州説が有力なようです。 麻雀は大正10年頃に本格的に日本に伝来しましたが、 昭和5年頃までは中国麻雀ベースのルールで行われていたようです。 しかし昭和6年頃になると独自のルールが生まれ、 日本的麻雀へと変化していきます。 その中で 「(途中立直は)すでに昭和7〜8年頃、京都で行われていた」 と言われております。 参考: 「途中立直の起源」三島康夫寄稿(日本麻雀聯盟機関紙「麻雀タイムズ」第10号より) 問題は、この「京都で行われていた途中立直」が、 「満州(やその近辺)で誕生したものが昭和5〜6年に伝来したもの」か、 「その頃日本国内で考案されたもの」かという部分ですが、 前出したように、このあたりははっきりとはしておりません。 |
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へー。昭和7〜8年頃、京都に伝わったことだけは分かってるのか。 ま、どっかの誰かが、よく分からない場所で考えた役、ってことだな。 |
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この「立直」のルールは当初は主流ではありませんでしたが、 戦後になって爆発的に広まりを見せます。 この「立直ルール」を体系化し普及に尽力したのが 先に<日本での麻雀の歴史>で紹介した「天野大三」氏であり、 「リーチ宣言牌を横向きにする」というのも氏の考案によると言われております。 いずれにしても、 「その成立に日本人が大きく関与していること」は間違いないようですね。 |
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ここで出たわね、天野大三。 不健康麻雀的な「途中立直」を普及させた人間・・・。 |
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だけど、途中立直は、面白いよね! 健康麻雀にも、なくてはならないものだよ! |
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そうだな。博打の道具にしなくたって、十分楽しい。 そういう意味では、天野大三を一方的に責めるのはおかしいわな。 |
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ところで、さきほどの「それとは無関係に日本国内で考案されたもの」 のバリエーションの中に、「不吃不ポン(プーチープーポン)」という役がありました。 一荘開始前に 「この一荘、私はポン・チー・明槓を一切しない。」 と宣言することでその宣言者は和がり時に一翻を上乗せされる。 というものです。 今はすっかり廃れてしまいましたが、これが立直のおこりという説もあります。 |
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そんな役もあったわね。だけど、ギャンブル性に乏しいので、みるみるうちに廃れて行ったわ。 何かを宣言することで得る役、という意味では、立直と同じなのにね。 |
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あっそうだ!ねえねえ先生。 この「リーチ」って名前、英語だよね? 私、前に、辞書を引いてみたんだー。 【reach】・・・到達する 多分、アガリまであとひとつ!って意味で、この単語を使ったんだと思うんだけど、 今の歴史の話を聞いていたら、すごく不思議に感じるよ。 日本人が考えたルールなのに、どうして英語名をつけたの? |
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るなちゃん、残念。この「リーチ」、実は英語じゃないんだ。 昭和15年頃には満州在住の日本人の間でも、この 「ゲーム途中での聴牌宣言ルール」が広まっていました。 この頃はまだ「立直」ではなく、 「新體制」とか「東亜」と宣言されていたようです。 さらに、現在の「立直一発」に相当するものを 「大東亜」と呼んでいた、と資料にあります。 当時の日本は戦争の真っ只中で、 「挙国一致」を強く押し進めており、この「挙国一致体制」のことを当時 「新體制」と呼んでおりました。 そこで「聴牌という新しい體制」との掛け言葉のニュアンスを含め、 「新體制」と呼んだのでは、との推測がなされます。 「東亜」「大東亜」は、もちろん「大東亜共栄圏」のことです。 (Ralph注:「體」は「体」の旧字体) 参考: 「麻雀スピード上達法」杉浦末郎著(昭和29年・大阪屋号書店) 「麻雀・語源と歴史に強くなろう」(昭和49年・平凡社「Oh!」4月号) 「南は北か」手塚晴夫著(平成元年・日本麻雀聯盟) |
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「新體制」!ぶはははは、言いづらいぜ! ほら、骨が豊かと書いて、体だぜ?るなちゃんも好き嫌いせずに、魚食えよ? 体が出来上がらないぞ。 |
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麻雀においても、確立した打法は、その人間の芯…背骨に当たるものよ。 るなちゃんも、嫌いなお魚を克服すれば、麻雀の上達が早まるかも知れないわね。 |
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えー…なんで私の好き嫌いの話になるの? 麻雀に、お魚は関係ないよ。 |
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いやいや、「河底撈魚」って役もあるくらいだぜ? |
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もう!嫌いなものは嫌いなの! |
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るなちゃんをいじるのは、それくらいにして…。 で、その「新體制」が「立直」に変わったのは、いつ頃からなのかしら? |
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当初はこのように統一ルールもない「途中立直」ではありましたが、 第2次大戦後には「ドラ」とともに急速に普及していきます。 しかし、その頃もまだ「伏せ」などの宣言が用いられていました。 例えば 「最初の1巡目の場合は『立直』、2巡目以降は『伏せ』と宣言する」 こんな記述も残されております。 参考: 「麻雀」宮崎俊匡著(昭和21年・虹有社) 確かに世間一般では「途中立直」は既に「立直」と呼ばれておりましたが、 これでは本来の立直(現在日本でいう「ダブル立直」)との区別がつきません。 そこで「途中立直」の方には「伏せ」を用いたということのようです。 しかし世間一般には「途中立直」も「立直」と呼ばれるようになっていました。 そこで、上記”「麻雀」宮崎俊匡著”も昭和23年改訂版では、単に 「立直」と表記されております。 そして、戦後早くから立直麻雀の将来性に目をつけていた 当時の日本麻雀聯盟幹部、天野大三氏は ここで挙げたような宣言の混乱などを整理したうえで 昭和27年12月、報知新聞の要請により同紙上に日本最初の立直麻雀ルール 「報知ルール」を発表いたします。 これは<日本での麻雀の歴史>で触れましたね。 これ以後数回の改定を繰り返しながら現在、このルールは 「新報知ルール」の名称で公表されております。 |
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わはははは!今度は「伏せ」か! るなちゃん、腕立て伏せ、できねーんだったよな? やっぱ魚だ魚!魚を食え! |
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秋の「さんま」は、大変おいしいと聞くわ。 |
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るなちゃん、お魚、嫌いなの? ポン酢と大根おろしで食べるさんまとか、最高なんだよ。 |
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(もうダメだ、これは逃げられない。だけど、立直の話だったのに、どうしてこんなことに…。) |
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